1946年 紺屋町付近
(国土地理院空中写真から作成)
「明治・大正」で述べたことと同じになってしまいますが、大正・昭和の前橋を眺めようとすると、大正を知るには昭和の資料が、また昭和を知るには大正の資料が必要になる、といったケースがあります。そんな事情から、ここでは大正・昭和という区分で整理しています。
大正時代には、停車場通りや八展通りが拡幅・新設されていますが、これらの通りも含め、多くの通りが戦後になって大きく拡幅されています。この拡幅に伴って、便覧の町列をおそらくほぼ完全に取り払われてしまった、と考えています。
また、一連の作業の過程で、波宜亭の写真らしき一枚に出会いましたので掲載しておきます。これは本当に波宜亭なのか...。