1946年 紺屋町付近
(国土地理院空中写真から作成)
便覧の年、明治37(1904)年当時、萩原朔太郎は前橋中学校に在籍していました。便覧の町並みは、彼がその中で生活し、毎日眺めていた風景でした。家をでて監獄裏の林へ行くときの通りの様子は、こんな感じだったのかもしれません。
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中学校へ向かう道はふた通り。県庁前通り(現朔太郎通り)と曲輪町通り(現県庁前通り)。
県庁前通りは家の前の道で、両側に立ち並ぶ家の木々が道の上に影を落とす静かな通り。日によっては、警察教習所や師範学校へ出稽古に向かう講道館柔道の先生を見かけることがあったかも。
南の曲輪町通りは商店が立ち並び、利根川にかかる曲輪橋を渡って多くの人や荷物が本町や桑町方面と行き来している。この通りへは、家の斜め向かいの小路(市役所と憲兵屯所跡の間の小路)を通ればすぐに出ることができました。
どちらの通りも西に向かうと県庁前で、右に曲がれば前橋公園や波宜亭、左に曲がれば中学校。
中学校を通りすぎてしばらく行くと、パンやおせんべいを売る店があるので、買って食べたことがあるかも。
利根橋の通りを渡ってしばらく歩くと、赤レンガの群馬県監獄署が見えてきます。
監獄署の西側の小路をさらに進むと、その先には田んぼが広がり、西側のあぜ道と利根川の河原との間にはゆるやかな斜面に桑畑が広がっています。その桑畑に沿うようにまばらな林が連なっています。監獄裏の林です。
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今回の一連の作業の過程で、萩原朔太郎に関連する次の2つについて、どうなのか、と思うところがありましたので、ここにまとめておきます。正しいと思って掲載しましたが、確信はありません。