1946年 紺屋町付近
(国土地理院空中写真から作成)
【掲載した町列の性質】
便覧の町列(まちれつ)は、官公署やお店の並び順を示したもので、個々の建物の位置情報(座標)や規模(間口)は残されていません。
町列には、とても大きな文字で業種や屋号が書かれている場合があり、それが規模(間口)を表しているとの印象を与えます。しかし実際は次の例のように、文字の大きさは規模(間口)を表すものではないようです。
下の図は、曲輪町通りの桑町付近の区画について、
・上の段に便覧の表記(業種の文字に大小あり)、
・下の段に通り沿いの写真、を並べ、
便覧の表記と建物の写真とを比較したものです。用いた資料は図の右側に示しました。
上の段と下の段には11年の隔たりがあり、町列と建物とは確かに対応するのか、と問われると確証はありません。
対応していると仮定し、桑町通り角から竪町通り角まで、一軒一軒結びつけてみただけの図、というほうが正確です。
とはいえ、写真の左方にある「群馬新聞社」は、特徴的な屋根の段差(*)から、同社の建物と判断できます。建物左側の軒には看板の輪郭も確認できます。同社は、便覧では大きな文字で表記されています。
また、左右の建物も「群馬新聞社」と同じくらいの間口のようにみえます。これに対し便覧の文字は、
右側:旅人宿(小さな文字で表記)
左側:医士(小さな文字で表記)と人力車営業(大きな文字で表記)、ただし両者が建物をどのように分け合っているかは不明。
つまり、便覧の文字の大小と写真の間口を比較してみると、文字の大小は間口とは対応していないようです。
この推測を裏付ける他の例として、停車場通りの「上毛倉庫株式会社」も会社の規模にもかかわらず小さな文字で表記されています。
根拠はありませんが、希望した商店だけ、例えば広告替わりに、大きな文字で表記したのではないでしょうか。
*「明治・大正-明治末期の町並み-駅と県庁を結ぶ通り-(3)曲輪町通り」の写真3に建物の写真を掲載しています。
図 便覧の表記(1904)と建物の写真(1915)との比較
こうしたことから、便覧の情報だけでは商店等の間口を決定できないため、現代の地図上に町列を正確に展開することは困難と判断しました。
ただし、仮にそうであっても、便覧の町列は商店等の並び順については正しい情報をもつと考えました。しかし大きな文字での表記を含むため、町列を再現しようとして文字を並べると、対面にあるお店の位置がずれてきます。そこで便宜的にスペースを挿入しましたが、結果として便覧の表示と厳密に一致させることはできませんでした。したがって、正しいのは左右の並び順だけとご理解ください。
つまり、ここで示した町列の図は、
・ある建物の左右の並び順は便覧の通り、
ただし表示上の都合から
・道を挟んだ対面の建物は、便覧とはずれています。
要するに、ここに掲載した町列は便覧の町列を正確に再現したものではありません。
【業種名、年号の表記等】
・便覧には業種名、屋号、店主名等が記載されていますが、業種名だけを示しました。詳細に興味がある方は出典をご覧ください。
・業種名の表示はできるだけ短くしましたが、短くしづらかった業種や、概要を付した施設などは必要に応じて文字数を増やしました。
・複数の業種の表記がある場合には、最初に記された業種名または特徴的と思われる業種名で代表させました。
・業種名が記載されていない箇所は「住居」としました。「官吏」、「会社員」等も「住居」としました。
・町列の表示は、次のように色分けしています。
黒色:業種名
橙色:道路(冒頭に*を付しました)
水色:水路(冒頭に*を付しました)
赤文字:県史、市史等公刊資料に掲載されている官公署、銀行、会社等で、気づいた範囲でその概要を付したもの
です。
官公署等の概要については、
・資料から作成した官公署、銀行、会社等の概要は、必ずしも完全ではなく、また要約に誤りがあるかもしれません。事実関係については、必ず出典資料その他関連資料で確認してください。
・年号は、「元号(西暦)」で表記しました。引用文中の原典が別の表記方法(例えば、元号のみ、西暦のみ、西暦(元号))であった場合でも、断りなく「元号(西暦)」で表記していますので、ご注意ください。そのようになっていない箇所があれば、記載ミスとご理解ください。
・旧かなは、新かなで、漢数字は、算用数字で表記しました。少しおかしな箇所があるかもしれません。
【便覧の町列と現代の町並み】
冒頭で示したように、町列は間口の情報を持たないため、現代の地図上に正確に展開することはできません。
そのうえ、主な通りは、大正から特に戦後に大きな拡幅が行われました。実例は「大正・昭和」に示しましたが、曲輪町通りの例でいうと、明治・大正の道幅は6間(約11m)だったのに対し、戦後は27mと倍以上に拡幅されています。
上の図でもわかるように、大正初期であっても建物は道路沿いのみならず裏側まで密集しているため、拡幅時には建物を後ろに下げるだけでは済むはずがなく、取り壊して移転するなど大規模な建物の移動が行われたと考えられます。その結果、明治末期、便覧の町列は一度取り払われ、その後に新たな町列が作られたと考えられます。
明治末期の町列は、現在は道路や歩道の下に埋もれてしまった幻の町並みです。
つまり、寺社などのごく一部を除いて、便覧の町列は現代の町並みとは対応していません。
【作成に用いた写真集・資料等】
「わたしたちの 昔の まえばし」をまとめるにあたり、次の写真集およびデジタルアーカイブ等とその収蔵資料(*)を活用させていただきました。ここの記して謝意を表します。*個々の参照資料は本文中に示しています。
平田一夫,大正末から昭和の初め 平田松平写真集(平成2(1992)年8月8日)
県立図書館デジタルアーカイブ(前橋市立図書館所蔵資料を含む)
国立国会図書館デジタルコレクション
特に「大正末から昭和の初め 平田松平写真集」は便覧よりもやや新しい時代を対象にしているものの、主要な通りと行き交う人たち、駅舎、役所、学校などの建物の写真が多数掲載され、昔の前橋の実際の風景を知るのにとても役立ちました。
なお、このサイトでは平田一夫氏関係者の許可を得て、主要な箇所で掲載写真を活用させていただきました。
また、巻末近くには膨大な撮影資材が掲載されており、未掲載の写真が多数残されているのではないか、との印象をもちました。可能であるならば、公的機関による永久保存・デジタル化・一般公開などが行われれば、県民・市民にとって、過去の郷土を知る貴重な財産になると思いました。
次の3つの写真集については、ここでは写真を掲載していませんが、本文をまとめる際の参考に活用させていただきました。便覧の当時から近年までの様々な前橋の風景が掲載されていますので、興味のある方は是非ごらんください。
丸山知良・島田幸一編,写真集 明治大正昭和 前橋 : ふるさとの想い出87,国書刊行会,1979.
目でみる群馬県の大正時代 2 ,国書刊行会,1986.
市制施行100周年記念 写真集前橋,前橋市,1992.
空中写真については、国土地理院の空中写真を活用させていただきました。戦後の道路改造の様子や「監獄裏の林」を視覚的に表現するのに欠くことのできない資料でした。また地理院地図も活用させていただきました。
最後になりましたが、町列や図・写真内の文字には「りいポップ角R」を使わせていただきました。便覧の町列は、今はもう無い幻の町並みです。幻の町並みを表すのに、「りいポップ角R」の柔らかな明るさがマッチしていると考えました。で結局、図・写真にも使わせていただきました。
このサイトに掲載した出典とその要約、疑問点や推論、その他の情報については正確を期していますが、掲載した情報の正確性を保証するものではありません。利用者が当サイトの情報を利用して行う一切の行為について、何ら責任を負うものではありません。